kusobaes

おわり・・・

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きのう、清原の引退セレモニーがあった。
あまり野球に興味のないボクだが、清原という男の最後は観ておきたいと思った。
清原らしく、絆という物を強く感じさせるセレモニーだったと思う。
どういったわけだか最近、死というか別れ際という事について話す機会が多いくある。
我が家には、このブログにもしょっちゅう登場するポーとグリコの犬猫たちがいる。
寿命を考えればどうしても僕達がこの2匹の最期を看取ってやらねばいけない。
辛いことではあるけれどもこればっかりはどうにも出来ない事実として存在する。
つい先日、ポーのドッグスクールの所長さんがちょっと納得させられる考えを話してくれた。
その所長さんがまだ見習いだった頃、そこに一匹のシーズーがいたそうだ。
そのシーズーはすごく可愛らしく辛い修行もその子に癒されることによって続けることが出来たそうだ。しかしその子も寿命がやってきて終わりが来たとき、その子の亡骸を前に所長さんはこう思ったそうだ。「今目の前にいるのは自分が可愛がったあの子ではなくただの抜け殻だ。
本当のあの子は今自分のそばにいる。これでずっといつも一緒にいられると思ったそうだ。
そう感じた瞬間あまり寂しさを感じなかった。」そう教えてくれた所長さんの話に、なるほどな〜と思っていたのだが最後に 「でもな・・・」 と付け加えられたのは 「自分達はこんな仕事だから色んなイヌたちを見ているので姿形が似ていても中身は全く違う物、自分はこの子達それぞれの中身を愛しているのだと日々実感できるが、一般家庭ではなかなかできないよね。できれば少しは楽なんだけどね。」
う〜〜ん。なんだかお坊さんの法話みたいになってきたけれども、所長さんの言いたいことはよくわかったような気がする。
しかし、いざ自分がとなったときできないんだな〜これが。やっぱり日頃に心の準備をしておかないといけないのだろう。
そんなこともあり、ボクは親父に自分の葬式は家から出したいのか葬儀場でいいのか聞いてみた。横にいたかみさんは 「変なこと聞かれなぁ!!」 と言っていたが、こういったことは本人の意思も大切だと思ったのでズバリ聞いたのだ。
親父は 「そりゃー、家から出たい。その辺も考えて家を建てた。」 と言う。ボクも「そおよな〜」と納得したのだが、そのことを後日オカンに伝えたところ 

オカン         「むりむり。家から出せるわけ無いが〜」 
ボク           「それでも親父最後の願いじゃけぇー、願いを聞いたらんと」
オカン         「そんなん本人死んどるからわからんって」

所長さんの理論なら親父の中身はそばにいるのだから見てるぞ〜〜オカン。(苦笑)

by matu
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by kusobaes | 2008-10-02 17:03 | ハエ日記